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仕事ってなんだろう。

2020.06.05
仕事ってなんだろう。

今回は少し趣向を変えて、「仕事とは何か」という哲学的なテーマについて語りたい。それは何故か。それはコロナ禍において今まで当たり前に出来た「職場に行き思う存分仕事をする」という日常が損なわれた方が多いからだ。飲食店をはじめとしたサービス業の方は本当に厳しい日々を送っているだろうが、こうしたお店には必ず納入業者がある。その会社にも納入業者が必ずいる。それらは連鎖反応を起こし売上を減少させ、利益を圧迫する。経営者は当然コストカットのためにボーナスを減らし、やがて給与にもメスを入れる。当然ながらそれらの企業のスタッフは他方で一人の消費者であり、結果として人々の動かせるおカネを減らし、お金の動きが緩やかになる。こうして、おカネが循環することで成り立っている経済は落ち込んでいくのである。残念ながら、経済の落ち込みという面だけで言えば、まだまだ序の口だろうと思う。この自粛による消費の落ち込みはあらゆる業界・業種を次々と襲ってくるはずだからだ。自分の家族の収入や仕事が減る、もしくは無くなってしまう人が出てくるのはむしろこれからのはずである。これらはメディアがさかんに喧伝している「新しい生活様式」が浸透するしないに関係なく間違いなく起こる。自分の職や収入を失ってなお、コロナ収束を優先させ自粛を主張する人がどのくらいいるのか私には分からないが、今日本経済はその淵に立っていることは間違いないと思う。
こうした厳しい現状だからこそ、仕事とは何だろうか?という事について一緒になって考えてみようではないか。

勿論、仕事とは何かという事について正解など無い。いや正解は無数にあると言った方がいいかもしれない。だから、私は私が思うことを勝手に語るので、読んでいる方もまた自分なりに考えてみてはいかがだろうか。

 

 

 

私が思う仕事とは「誰かに必要とされること」である。「誰かに喜ばれる嬉しさ」と言ってもいい。嬉しいからこそ、もっと喜んで欲しいという欲求がサービス向上への努力を生む。(こうしたことは打算的というより本能的なモノだと思うのは私だけだろうか?)端的に言うと、そういうことである。もっとシンプルに生活のため、お金を得るため、そういう人だって勿論いるだろう。しかし、私は誰かに喜んで欲しい、その喜びをお金という最も分かりやすい指標で評価・表現して欲しいと思っている。勿論より良い生活の為により多くのお金は欲しい。そんなことは当たり前だ。でも私は顧客から「お金を払って損をした」とは思われたくない。むしろ割安だったと思われたい。それにはただ懸命にやることだ。かの有名なお笑い芸人萩本欽一氏は「うまくやろうとするんではなくて、夢中になってやるということ」を挙げていたが、これほど仕事の本質を突いた発言もないだろう。本当のプロフェッショナルとはこういう人なのではないか。所詮、スキルは夢中になってやった結果に過ぎないと私は思う。

 

 

 

例えば、私が普段よくいく近所のスーパーZ店の話をしよう。
そこでは何人ものレジ担当のスタッフがいる。買い物かごの中に入った商品のバーコードを読み取ってもう一つのかごに入れるというシンプルな仕事だ。しかし、よく見てみるとそうではない。一人一人やり方もスピードも全く違うのだ。スタッフによっては肉などの生鮮食品をビニールに入れてくれる人もいるし、一連の動作のスピードが卓越している人もいる。奥さんのサトミさんはどのスタッフがどのくらい速いということを把握していて、たくさんの客が一つのレジに並んでいても「あの人のスピードだったらこっちの方が早いよ」と長い列に敢えて並んだりするが、見事なものでほとんど言った通りになる。それくらいスピードが安定しているということは紛れもないノウハウ・技能である。サトミさんが一番お気に入りのスタッフWさんは作業そのものもめちゃくちゃ早い上に、バーコード読み込み済のかごへの入れ方も本当に美しく、ほとんど芸術的とも言える仕事ぶりだ。

 

これはどんなにシンプルに見える仕事、それほど差が生まれないように見える仕事も工夫や努力によって大きな差が生まれるという何よりの証ではないだろうか。それとは別にZ店のレジスタッフ全体のレベルもまた他の店よりはるかに高い。Wさんのようなスーパースターがいるだけでなく、店全体のレベルも他店に比べて高いということだ。恐らくZ店に一人の素晴らしいレジ打ちが登場し、他のスタッフがそれを真似、競争が自然と生まれたのかもしれない。それがやがて技術を争う土壌を作り、様々な工夫が育つ文化が生まれたのではないだろうか。ビジネスの現場ではよく起こる奇跡の現象であるが、本当のリーダーとはこうした奇跡を人為的に起こすことができる。もっと突っ込んだ話をすると、自然と起きたこういう状態をキープし、また推進していくことが出来るのも良いリーダーの特徴と言える。言うまでもないが、サトミさんのお気に入りのWさんは私の言うところの「誰かに必要とされ、喜ばれている」プロフェッショナルと断言できる。

 

このことは一見シンプルに見える仕事もいくらでも面白く出来ることを示しているだけではない。実は逆のことも言える。一見奥が深そうに見える仕事も工夫を怠ればいくらでもシンプルにも雑にもできるということだ。私の専門である営業職という仕事もそうかもしれない。会社によっては複数いる営業職のレベルがほとんど同じというところも結構多い。これは全員がそれでいいと納得しているケースである。誰がやっても同じ仕事だということに営業職全員でコンセンサスが取れているという組織だが、現実には意外と多い。こうした会社では一人だけ工夫して結果を出すよりも、みんなと同じ程度にやっていくことにインセンティブが生まれるので余計に差が生まれにくい。(時折、「ウチの社員はレベルにバラつきがありすぎて困ってるんだ」という経営者がいるが、私に言わせればそれは健全なことだ。競争とは優劣が必ずはっきりとつくということであり、レベルにバラつきがない方が危険だと思う)競争がない会社・組織とは当然ながら弱体化する。競争の激しさが組織の強さとも言い換えることができる。ただ、これらは厳しいノルマやパワハラなどが全く不要だという事と矛盾しない。

 

 

 

仕事に限界など無い。人は自分の限界のかなり手前に線を引くとも言うが、それも違う気がする。肉体や体力には物理的な限界があるが、仕事はそうしたことを競う訳ではない。自分が明確に出来ると信じていなくても、いつの間にか思っていた目標をはるかに超えるレベルに達してしまうこともよくある。それらを可能にするのは、その人のモチベーションである。これ以外にはない。能力や才能などはこれに比べれば、はっきり言って誤差である。
だからこそ、組織はスタッフのモチベーションを高める努力を怠ってはならないといつも主張しているわけだ。勿論、いたずらにモチベーションを奪うような言動や意味の分からないルールなどは論外である。

 

 

 

人は自分を活かしてくれる人や場所に自然と集まってくる。収入や労働環境など諸条件は勿論あるだろうが、本当にそのようなモノだけで良い人材を集めることが出来るならこんな簡単なことはない。人間、そんなに単純ではない。繰り返しになるが、仕事とは「誰かから必要とされること」である。もしかしたら、自分が活かされ、必要とされ喜ばれることによって自分の存在価値を再確認し、自分自身が自分の生き方を肯定できるからなのかもしれない。そして、仕事以上にそれが可能なモノはないのかもしれない
少なくとも私はそう考える。

 

 

私はもともと弁護士や会計士などの専門家は世の中たくさんいるのに、どうして売上を増やす専門家がいないのかと素朴に思って起業した。でも、今や営業戦略の立案からお付き合いが始まった企業からは社内の人員配置・担当変更や部署再編、或いは電話対応のマニュアル作成など本来の営業とはかけ離れた件についてもアドバイスを求められることが多い。それはこれまでのコンサルタントでは出来ないアドバイスを私なら出来ると評価してくれたとも言えるし、そもそもそんなことを相談できるほど信頼のおける専門家がいないともいえるし、それだけ企業の悩みは多種多様だとも言える。私がその都度、時間をもらい自分で調べながら自分なりの回答を出すが、ほとんどは喜ばれる。常識に反する依頼、明らかに私でなない誰かに依頼した方がいいことを除いては断ることはしない。

 

 

 

 

サトミ営業相談所は「人のために生きる」と決めた。私も私自身が創出した「営業の専門家」という職業へのビジョンは明確に持っているが、今後どこに向かっていくかは実はよく分からない。だが、そんなことを決めておく必要も分かる必要もないと思っている。誰かに必要とされ喜んでもらえるなら、それは私の仕事だ。