定義

先日、製造業経営者B社長との間で出た話である。

「川端さん、ウチの新製品が全然売れないんだ。俺が思う半分も売れていない。でも営業メンバーに聞いたら『まあまあ売れている方じゃないですか』と言うんだ。あいつらのプロ意識の低さには呆れるよ」

私が「数値目標は決めなかったのですか?」と聞くと

B社長は「リリースしたばかりだから目標を決めても仕方ないという意見ばかりだったんだ。だから、とりあえず販売数がある程度まで持ち上がってから数値目標を決めようっていう結論になって、数値目標は決めなかったんだよ。」

さて、ここまで読んだ方はどうお感じになられたであろうか?

 

あまり理解されていないことだが、営業に限らずあらゆるビジネスの現場で数値目標を設けるのは、実は数字を意識させることで本人の努力を最大限引き出すためだけではない。

会社とスタッフの間に、基準を設け、評価をする際にお互いの認識を共有し、双方の納得を得るためである

それくらい、組織がスタッフに評価を下す時というのは危険が伴っていると思った方がいい。低い評価を下すことが危険なのではなく、組織の評価とスタッフ自身の自己評価があまりにかけ離れてしまうのが危険だということだ。こうした事は組織でほとんど認知されていないが、プロ野球の契約更改のシーンを見ているとその危険度は一目瞭然であると言える。低い評価よりも、自身の出した結果による自己評価と組織の評価があまりにかけ離れている時は、スタッフは最もモチベーションを失い、組織への信用もまた失われる。これを防ぐために最初からゴールを明確に決め、誰が見てもどの程度達成したかが明白になるようにしておくというのが数値目標の最大の意義である。

 

そんなことは当たり前じゃないかと思うかもしれないが、あらゆる企業やビジネスの現場ではこうしたことを理解していないと感じることは非常に多い。冒頭の話もそうである。

 

どんな状況だろうが、数値で表現できるモノは数値目標を決めるべきである。

逆に言えば、何らかの事情で数値目標を決めないのなら、その結果について良い、悪いと評価すべきでない。何故なら、数値目標を決めていない状態では一人一人の感想のぶつけ合いにしかならず、ただただ噛み合わない議論を繰り返し、互いのモチベーションと労力を削り合う事にしかならないからだ。

もっと言うなら、感想故にその時のその結果を見た人の精神状態からも影響を受けるため、コロコロ意見が変わる。部下が管理職や経営者に対して「思い付きでモノを言っている」と感じるのはこうした事の結果と言える

 

仕事は数値目標を出来るだけ盛り込む。

盛り込めないモノはそもそも評価しない、評価する対象にしない、これが鉄則だ。

 

例えば、やる気、モチベーションなどもそうだ。繰り返し強調していることだが、組織がスタッフのモチベーションを上げるために全力を尽くすことは最重要事項だが、スタッフのこれ自体を低い、高いなどと評価すべきではない。

数値化できないということは見る人の主観によって左右されるからだ。

これでは評価にどうしても不公平・不正確が生じてしまう。

(一方で、こうした面をうまく利用して、営業活動においてはわざと数値化されない要素を顧客に伝えることで自社に有利な展開を作るということも可能である)

 

そして、企業の運営で大事なことはこの数値目標を含めた「定義」である。

「定義」:物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること。

 

例えば、営業の現場だと「活動量を増やせ」という指示がよくある。

しかし、活動量と言っても、営業活動時間なのか、訪問回数なのか、訪問件数なのかという事だけで全く意味は異なってくる。

もう少し掘り下げると、営業活動をしている時間だけを問うなら移動時間は含むのだろうか?含むのであれば、朝一にアポを取り、長い距離を長い時間をかけて訪問を繰り返すのが100点満点の活動になる。

含まないというなら、世間話でも1件に出来るだけ長くいた方が単純にトータルの営業活動時間は長くなる。

もっとシンプルに訪問件数だけを問うなら、活動範囲を狭いエリアに限定して、ひたすら飛込み営業をすれば件数は結果的に一番増える。

また同じ会社に複数回訪問するのは訪問した回数を数えるのか、1件と数えるのか。

 

「活動量」と一言で言っても、私が今思いつくだけでも、これだけ捉え方は存在する。

このように書きだしてしまうと、いかにも馬鹿馬鹿しい話だが、営業の現場ではこうしたことを考えずに「活動量を増やせ」とだけ指示を出す管理職がほとんどだ。

それでいて、ただ一生懸命にやりなさいという意味で言っているだけならまだしも、訪問内容をチェックし、その都度指摘してくるのは不合理の極みと言っていい。

アポの件数も同様である。

どんな形でも時間を決めて、顧客と会えばそれでいいのか。

初対面でのアポを取る件数を増やせというのか、

複数回会った顧客に更なる提案をするアポを増やすのか、

契約締結のアポを取るのか、

どのアポを増やすのかで営業スタッフの活動や考え方はかなり差が生まれる。

 

もし指示を出すのであれば、こうした受け止め方に違いがあるということはせめて想定して指示を出さなければならないのではないか?そうした配慮や理解が無いと、指示されたスタッフは混乱するだけでなく、スタッフ本人は言われた通りに行動したつもりなのに「全然指示通りやっていない」と叱責される羽目になる。

こんな状態で出来ている、出来ていないと評価するのは最早上司の感想に過ぎない。

こうした噛み合わない議論はただただ部下のモチベーションと自由な時間を奪う悪魔だ。

 

それを防ぐのが、定義である。

誰がどのような状態で聞いても、それ一つの意味にしか捉えられない余地のないもの。

その最たるが数値目標である。

それによって噛み合う議論が可能になり、高い評価も低い評価もお互い納得して受け入れることができ、であればこそモチベーションの低下も最小限に抑えることが出来る。

しつこいようだが、低い評価が問題なのでなく、不公平な評価を避けよという事を言っているだけだ。

(こうした視点で見ると、世の中に溢れている専門家、或いはSNSに度々登場する管理職のどの人がプロフェッショナルと名乗るに値するかはすぐに判別できる。定義の施されていない言葉や目標(人間力などはその最たる単語である)ばかりを扱い続けている者はプロフェッショナルとは呼べない。これは意識的なのか、無意識なのかは私には分からないし、興味もないが、受け取り手はいかようにも捉えられるし、発信者はいかようにも誤魔化しがきく。だが、それでも成立しているのは発信者の倫理的問題というよりは受取り手のリテラシーの問題だと思う)

 

この定義を厳密に行うということは、下手な戦略やツールの導入より、企業全体、或いは個人のパフォーマンスに大きなプラスの効果をもたらす。

しかも、時間もコストもかからないし、今すぐ出来ることである。

 

あらゆることに定義をせよ。

定義ができないことは評価するな。

 

サトミ営業相談所はこうした矛盾と誤りを正し、スタッフのモチベーションにこだわり抜くことで最大の売上UPを目指すからこそ、日本唯一にして最強の『営業の専門家』なのである