営業の世界にいると、よく会話の中で「彼は営業センスがある」などという話が出る。それは話が上手かったり、クロージングのタイミングが良かったり、顧客との関係つくりが上手いということを言うのだろう。
逆もある。「彼(彼女)は営業センスがない」「コミュニケーション能力がないからダメだ」などである。
結論から言うと、私はこれらの有無で営業マンの評価を決めつけるのは無意味だと思っている。
何故なら、ここでいう営業センスやコミュニケーション能力など無くても売上を上げることは十分可能だし、現実に口下手で、人付き合いが苦手でも結果を残す営業マンは数多くいるからだ。
営業マンには完成形も理想形もない。
口では「営業マンに正解はない」と言いながらも、部下や後輩に対しては真逆の指導をしている人が多いのでここは強調しておく。
これをやったら絶対売れるという必勝法もない代わりに、こうしなければ絶対売れないという形もないというのが営業の世界だ。
(だから、私は「こうすれば絶対売れるようになる」とは言わない。
何故なら、それは非常に乱暴過ぎる約束であり、結果を出す主体はどこまでいっても営業マンであり企業だという私のポリシーに反することだと考えているからだ。)
だが現実には理想の営業マン像に近づけようと「もっと客の心をつかむような話し方をしろ」「コミュニケーション能力を上げろ」などという指導をする上司は多い。
そのような抽象的なことを言われてもどうしていいか分からない。それよりも、例えば話すのが不得意だがプレゼン資料が作るのが得意なら、話さなくても一目で分かるような資料を作ることにエネルギーを割いた方がよほどいいに決まっている。少なくとも営業マン自身が「自分はこのやり方のほうが結果を出せる」という何かを見つけてきたのなら、やらせてみない合理的理由はない。だが、多くの会社やその上司は勝手に自分たちの経験や価値観に基づいて理想の営業マン像を作り上げ、それを目指せと暗に言ってはいないだろうか。だから、私は会社や上司に対して、「営業マンのモチベーションも管理しましょう」と繰り返しお願いしているのである。
営業に限らず、仕事は本来楽しいものではないのかもしれない。でもつまらないものでもないと思う。それをつまらなくしている、ただ辛いだけのものにしているのは会社の無意味なルールや無茶苦茶な要求であり、上司の合理的とは言えない指導だ。
人間、好きなこと・自分自身でやりたいと決めたことは苦にならない。仮に資料を作ることが好きな営業マンにはどこまでもやらせてみて、その資料で顧客に説明がどれだけ出来るのかを確かめさせてあげてほしい。苦にならないことにこそ、人間は信じられないエネルギーと集中力を発揮できる。なのに、それを何故やらせてあげないのか私には理解できない。上司は細かなやり方は自由に任せそのやり方に沿って気付いたことをアドバイスし、結果についてだけ評価をしていけばいいのだ。(この場合のアドバイスもあくまで助言で、強制はせず最後は自分で自分の行動を決めてもらうのがベストだ)
要するに「顧客から見てどう映るのか?」さえきちんと考えていれば何だってありなのだ。
もう一度言う、営業マンに営業センスなど要らない。
そして、これをやったら絶対売れるという必勝法もない代わりに、こうしなければ絶対売れないという形もない。
自由な発想で自由にやってみて、失敗したらまた考えればいい。
その繰り返しが実は一番結果に結びつくのだ。