先日、顧客Sさんから「川端さんの知識とか教養って信じられない量ですよね。やっぱりビジネス書とかビジネス雑誌を相当読み込んで勉強しているんですか?」と聞かれた。実はこういう質問はしょっちゅう受ける。「それだけの知識を得るには相当勉強したのでしょう。どこで勉強(多分ビジネススクールのこと)されたのですか?」と聞かれることも多い。要するに私のようにある程度の知識と確固たる論理を持った人間は珍しく、どうやったらそうなれるのかという方法を教えて欲しい、そしてそれは聞き手である顧客のイメージの中ではビジネス書、ビジネス雑誌で学習・情報収集しているのだろうと予測しているということだろう。
確かに自分の空き時間を有効活用してどのように論理的思考やビジネスの素養である社会的教養を身に付けていくのかということはビジネスパーソンにとって永遠の課題だ。ライバルを出し抜くにはライバルにはない知識や教養を身に付け、もしくはビジネス啓発本から何か参考になることを得て結果に結び付けたいというのは十分理解できる話ではある。
そこで今回は私の「どのように知識や教養を獲得しているのか」「どのようなビジネス書やビジネス雑誌をどのように読んでいるのか」という問いの答えとその理由を語る。
結論から言おう、私はビジネス書・ビジネス雑誌など一切読んでいない。役に立たないから読まなくていい、というのが答えだ。
(予め断っておくが、これはあくまで私の考え方であり、やり方だ。ビジネス書を読んで役に立ったという人もいるだろうし、ビジネス雑誌を愛読している人も多いだろう。それは勿論否定しないし、私と意見が違うからという理由で私に腹を立てる必要もない。)
まずあなたはビジネス書を読むとして、何を基準にして選びますか?恐らく内容というよりタイトル、タイトルというより著者という方が多いのではないだろうか。もしかしたら、中身より著者を最重要視して選んでいるという方が多いのではないだろうか?
(これは出版社側や著者も十分理解しているので本の表紙や帯にこれでもか!というほど著者を持ちあげる表現を盛り込んでいる。その印象でほとんど決まってしまう。それは仕方ない。それ自体は悪いことではない。)
しかし、その本の中身が充実していて、読者にとって有益かどうかということと誰が書いたかなどということは本来何の関係もないはずである。そう考えると、一切著者の紹介がなく、内容だけを読んで有益だと感じることができる、或いは多くのことを教えられたというものなどほとんど無いのではないかと個人的には思う。少なくとも私は出会ったことが一度もない。
勿論多くのビジネス書が納得できる部分が皆無ということではない。でも、その納得できる部分はただ当たり前のことを書いてあるだけであり、また本を作る側も役に立つ目新しい情報やノウハウを提供するというよりは、読者の読みたいテーマに沿って読みたいモノを作り上げているだけに過ぎないと感じる。これは出版社も商売でやっている以上当然の行動であり、繰り返しになるがそれ自体は悪い訳ではない。言い換えれば、読者(この場合のビジネスパーソン)にとってプラスになることをテーマにしているというよりは、著者のイメージを前面に押し出し、読者が買いたくなる本作りを最優先させているということだ。(こうした事は出版業界に限らずどの業界でも起きていることである。私の顧客に聞いてみるとかつてのコンサルタントさんのアドバイスなどは、顧客の経営や売上のためにやっているとは到底思えないことが多い。こうした事も「顧客の為になること=自社の売上プラス」が必ずしも成立しない一つの例であり、証左とも言える。)
これらがバラエティー番組のようにただ楽しむことだけを目的としているなら何の問題もない。しかし、これらビジネス書で得た知識をビジネスという弱肉強食の現場で活かそうというなら話は別である。何故なら、内容が薄いだけならまだしも現実と違うモノや役に立たない情報を信じ込んでしまえば時間の無駄であるばかりでなく、はっきり言ってマイナスであるからだ。だからこそ、私は読まないことをお勧めしている訳だ。
これはあらゆることについて言えることだが、SNSやテクノロジーの進化によって、かつてほどブランドにこだわらなくても、本当にいいモノを今なら自力で簡単に探せる。同時に、これらは無名であってもノウハウのある人材が世の中には数多く存在していることをも明らかにした。逆に、「新聞やテレビなどのメディアに多く露出している人ほど正しくて素晴らしいノウハウを持った人」という事が実は間違いだったことも明らかになった。しかもSNSの登場によって、あらゆる人材や情報への直接のアクセスが簡単に出来るようになり、出版社や新聞という情報発信において伝統的ノウハウやリテラシーがあると思われてきたメディアに頼る必要は全く無くなってしまったのである。
要するに、メディアが持つ情報や専門家を品評しふるいにかけるというのはこれ以上ない既得権益だったわけだが、それらはリテラシーがあるどころが反対にバイアスがかかったいい加減なものだったことが証明されたということだ。だから、自分が納得できる説明や論理を展開してくれる人をSNSで探した方が、出版社という巨大メディアが作ったビジネス書を読むよりはるかに合理的だろうという結論になる。しかもそれらはほとんどの場合ある程度まではお金はかからない。こうした理由から、ビジネス書に限らず、定期的に発行されているビジネス雑誌などより、お気に入りの論者のSNSでの情報発信を見ている方がはるかに有意義であり、コストも全くかからないので、私は一切読まないということである。
それでは、ビジネス書の代表格である経営者や成功者のサクセスストーリーを一冊の本にしたものなどはどうだろう?
これも自分の意見をはっきり言うと顧客からは驚かれるのだが、全く当てにならない。少なくとも私はそう思っている。
何故なら、成功した事自体は事実であっても、成功者自身が成功した理由を正しく分析しているとは限らないからだ。当たり前であるが、成功者も多くの失敗を繰り返している。どこか成功者は異次元の天才のように勘違いしている方が多いのだが、同じ人間であり、間違った判断だってする。もっと言うなら、成功者自身が語る成功した理由や原因が合っているという保証などどこにもない。人間失敗した時は何故失敗したかを必死に分析するのだが、成功した時にも同様に原因を分析できるとは限らない。これは成功したビジネスパーソンであっても例外ではないのではないだろうか。つまり、そのビジネス書に描かれているストーリー、結論として導かれた成功の秘訣は実は的外れで、違う要因で成功していたかもしれない訳だ。こうしたことは冷静に考えれば簡単に分かることである。これらの理由で私は成功者や有名経営者の成功談を語ったような本はお勧めしない。かつてそうした本を読んだこともあったが、この予想の範囲を超える本に出会ったことは一度もない。もし、そうじゃないと主張する方がいたら、著者名が伏せられても同じように感動したか、或いはその本を無名の経営者が趣味で自費出版したものだと偽って誰かに読ませたときにどのような反応があるか検証してみてはいかがだろうか?
では私はどのように教養やビジネスの考え方を構築しているのかというと、『多くの方と交流し、多くのテーマについて議論すること』である。それだけである。これも言うと「ウソでしょ?」と言われるのだが、本当にそれだけで十分なのである。年齢や性別、仕事内容など全く関係なく、また損得なく付き合って色んな意見を交換する、議論する、これだけである。そんな事は誰でもやっているじゃないかと思うかもしれないが、実は出来ている方はほとんどいない。自分の仕事上の付き合いや仕事上プラスになる方との交流、仲の良い友人という風に交流をしている方はいる。むしろ、そんな人が大半だろう。しかし、全く損得なく普通に生活していては交流しないような異業種の方と、何の条件も設けず全部ごちゃまぜにして語り合う・あらゆるテーマで議論するという方は少ない。私はこれを誰よりも長年続けてきた積み重ねがあるから、あらゆる人のあらゆるノウハウや考え方を吸収し、己のノウハウや論理、そして哲学につなげてきたのだ。
答えになっていないかもしれないが、本は自分が読んでいて楽しいものを選べばいい。私の中で読書はあくまで楽しくするものであり、ストイックに勉強しようと思ってやるものではない。そんな風に読んでいても頭には入ってこない。何より続かないだろう。体にいい食べ物、ならぬ頭にいい本は自分が読んでいて楽しくて心地いい本である。それが私のように歴史本でもいいし、奥さんサトミさんのように小説でもいい。
だから、何でもいいのである。
要するに、ビジネス書やビジネス雑誌などを読むより、SNSから自分が納得できる情報を探した方が内容もコスパもはるかにいいからそんなモノは読まなくていいということだ。読書は楽しむ目的でやった方が自分の頭に入ってくるから教養として身に着けたいならむしろ自分が面白いと思うモノだけを手に取った方がはるかに良い。そういうことだ。
このようにサトミ営業相談所は形や常識にこだわらないし縛られない、多くの人々との交流から生み出された唯一無二のノウハウと哲学で勝負していく、「日本唯一の営業の専門家」なのである。